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help リーダーに追加 RSS 北爪満喜さんの写真展を観て遥かな気持ちになる

<<   作成日時 : 2008/05/07 23:48   >>

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5月3日、下北沢ザ・スズナリで劇(「コーヒー入門」)を観たあと、銀座のサニーギャラリーに、詩人で写真家でもある北爪満喜さんの写真展を観に行ってきました。

「コーヒー入門」は、俳優も演出も非常に良かったのだけど、台本自体の詰めがいまいちに思われて、ちょっと物足りない気分でギャラリーへ。

小さな路地の、破れた金網。
飛翔するかもめ。
海をたゆたうレジ袋・・・

細い回廊に、たった5枚展示されていただけだったのに、とても深い印象を胸に刻み付けられて帰路に着きました。

入り口に、北爪さんの直筆と思われる字で、「奇跡のために」という短い詩が飾られてあり、その後、写真が続きます。

写真も写真の入っている額も、写真が飾られているギャラリーの空間も、全てを超えて空間が、遠く、遠く、広がっていく、その広がりが感じられ、すがすがしい開放感があるのに、何故か悲しいのでした。

美しい、明るく澄んだ光、広がる空間、なのに、何故か、胸が締め付けられるように、悲しくなるのでした。

どうして?

入り口に掲げられた北爪満喜さんの詩の、最後の6行、

      想像して
      破って
      出会って 出る
      明るいところ
      もっと遠くまで
      遠くまでゆきたい

そうなんです、どの写真の空間も、その広がりは、「行きたい場所」として観られているのであって、「行ける場所」としては必ずしも観られてはいないのです。

「想像して/破って」
その空間は、カメラを持つ詩人が今いる現実の場所にあるのではないのです。

そこに行くのには何かを「破」らなければならない、破られるべき何かが隔てるその向こうに、広い空間はあって、詩人を呼んでいるのです。

写された風景の明るさが悲しいのは、それが、手に入っているものではなく、もしかしたら、行けないかもしれない場所の明るさだから、悲しいのです。
明るければ明るいほど、それは、悲しいのです。

かもめの飛翔を写した一枚にしても、一見普通の風景写真のように見えるのに、やっぱり悲しい。

詩人の手の届かないところを飛翔するかもめ、それを遥かに眺めあげる、詩人の眼差し。

うつくしい空のこちら側にいて、動けずにいる詩人の苦しみと悲しみとが、飛翔するかもめの姿とコントラストをなしながら、目には見えない像を結んで、迫ってくるのでした。


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北爪満喜さんの写真展
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銀座4丁目の交差点を、和光から教文館に向かい、教文館を過ぎたらすぐ左折。二つ目の通り(二階にルノアールがあるのが見える)を右折、右手にSHIPSがあってその並び。
常設展になっており、時々作品を入れ替えるそうです。
中央区銀座3−4−16 銀座サニービル1階 通路(銀座サニーギャラリー)


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